Velocity

方向を定めて

物事を大きく考えすぎず、やるべきことを淡々とやる

最近ランニングが趣味になり、それに伴ってランナーの本をいくつか読んだ。 それぞれの本の中で、気に入っているフレーズを抜粋する。


走ることについて語るときに僕の語ること | 村上春樹

継続すること──リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし 弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。

走って、悩んで、見つけたこと。 | 大迫 傑

泥臭く走り続けることでしか、強さは手に入れられないし、毎日、淡々と普通に続けることが実は一番難しい。

ランニング思考 | 槙泰俊

この「やるべきことを、 倦まず 弛まずやり続ける」というのは、走ることだけでなくて、何をやるにも大きな違いを生み出すものだと僕は信じている。毎日毎日、筋肉の炎症で熱が 38 度近くあり、身体のいろんな箇所が痛む状態で、でもきちんとやるべきことを毎日コツコツとやることは、どんな状況においても心乱されない訓練にもなる。天気とか体調といった自分で操作できないものには心乱されず、今自分にできることを無心に行うための訓練。


いずれも "継続の重要性" という共通項があるような気がする。特に「淡々と」という表現が、自分の中で腑に落ちるというか、そうそうそうだよなという気持ちにさせられた。

新しいことにチャレンジしたり、単純に取り組む量を増やしたいと思う時にネックになりやすいのが、様々な心理的なハードル。目標に達するまでに要するステップが多すぎて大変だなーとか、どうやったら最大効率で物事を進められるのか、とかそういったことを考えていると、次第にその物事を考えること自体が嫌になってくる。

物事を「淡々と」進めると言った場合、対象を大きな存在として捉えすぎず、目の前の一部分に集中するようなニュアンスがあるように感じる。同時に、そこに怠惰だったり驚きの感情はないように感じる。

対象の大きさに対しての畏怖の感情が発生すると、途端に物事を進めることが難しくなる。

英語の学習でもコンピューターサイエンスの学習でも、ある程度自分に自信が持てるレベルに達するには年単位は必要だし、よっぽどのコミットがない限りはそんな日は訪れないのかもしれない。そんなことをぼーっと考えていると「そもそもやる意味ある?」みたいな問いも自然と訪れる。ただ、そんなネガティブな弾み車を回して消耗している暇があったら、目の前のやるべきことをやった方が良いに決まっている。自分がやりたくてやっていることだし、やるべきなんだから。

そういったことをぼんやり思っていたからこそ、「淡々と」という表現がすごくフィットしたのだと思う。


目標への向かい方の自分的フレームワークを考えてみると、こんな感じになりそうだ。

  1. 自分がやるべきことを明確にする
  2. 成長を実感できるような小さなステップに分解する
  3. 淡々とやる

3 は頻度を高くすると継続しやすい気がしている。週に3回よりも毎日やると決めた方が自分は継続に成功しやすい。自分自身の直近の例だと、そろそろ英語で議論できるようになりたいなーと思ってDMM英会話を始めたが、必ず毎日レッスンを入れるようにしている。今日が14日目だ。最初の2日くらいは億劫だったが、それからは日常の1つとなっており、省エネルギーで継続できている。

また、書いている自分自信でも矛盾があるように感じてしまうが、「淡々とやる」ことが無味乾燥にならないように意識する必要はある。アクティビティに刺激がないと、否が応でも何かしらの負の感情が湧いて出てきてしまう。

それを防ぐために 2. で「成長を実感できるような」という prefix を仕込んでいる。継続することで成長を実感できるような設計をしておくことで、できるだけポジティブな弾み車を回すようにし、途中で物事を諦めてしまうリスクを小さくしている。


自分にとってのフレームワークが確立できれば、物事を進めることが幾分楽になる。やるべきことだと自分が認識できれば後はやるだけなので、自分の奥底の心との diff がないように「やるべきこと」をクリアにしていくことが大事なのかもしれない。